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カップヌードルにおける幼少期の記憶は不幸か幸福か?

 12, 2017 09:40


物凄くさみしい話をしよう、今現在寂しくないから話せる事だ、俺がまだ小学1年くらいで姉が4年くらいだった町内の運動会に二人出る事とになって、昼飯の時間、姉は俺を連れて駄菓子屋に入りカップヌードルカレー味を2つ買っていた、姉とおばちゃんがお湯を入れる入れないで揉めていた、この前は入れてくれて今は何で駄目なのかと言ってる、なんとかお湯を入れてもらい学校のテントに入りカップヌードルカレー味を食べていると、近所おばちゃんがミカンをくれたりお菓子をくれた、見渡せばみんな家族で楽しそうだ、姉は黙って食べる。

そんな記憶だ、俺はまだ物心はついてないからうちの家族の寂しさには気が付かず、だが姉は辛かったはずだ、今は幸せに暮らしている。俺の子供達も姉と弟という関係でもし同じような体験をするなら、と考えると言い様のない怒りと寂しさを感じる。
姉とはこの思い出の話はしないけど、カップヌードルカレーは絶対食べないだろう

過去に囚われてはいけない、でも間違いなく記憶の片隅に存在して苦しめる、全てを許す寛容など俺にはない。今の幸福の記憶で覆い隠す事は少しだけ出来る気がする。
そうだ楽しい記憶で埋めてしまおう

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